アラカンタロウの老後への道

アラカンの退職前になって老後破産・貧困老人から免れる方法を模索しながら試しているブログです。

小泉 八雲の「乳母桜」

こんにちは!アラカンタロウです。

小泉八雲の怪談を英語で読んでいっているのですが、「乳母桜」と言う話がありました。



書き出しに”Three hundred years ago, in the village called Asamimura, in the district called Onsengori, in the province of Iyo, there lived a good man named Tokubei.”から始まり、内容は徳兵衛と言うものが、伊予(愛媛県)温泉群(おんせんごおり)朝美村にいて、子供がなかなかできないので「西法寺」の「不動明王」にお祈りを続け、やっと子供が授かった。子供は女の子で「露」という名だったが、母親の母乳の出が悪く、「お袖」と言う乳母が雇われて、露は綺麗に成人した(15歳)。ところが病気になって医者からは死ぬと言われた。お袖が成法寺の不動明王に露の身代わりで死んでも良いので露を助けてと祈り、無事に露は回復した。

身代わりとなったお袖が死ぬ間際に成法寺に桜を植えてほしいと願い、植えた桜が綺麗に咲き、みんながその桜を「乳母桜」と呼ぶようになった。

興味がわいたので、実際にそんな話が残っているのかググってみました。

 

最初は愛媛の「成法寺」を探すと松山にあり、桜が綺麗で名所となってました。

この桜は1300年前に天武天皇道後温泉に来たときに皇后が病気になった。その病気を治すため本尊薬師寺如来に祈祷を行い、無事病気が回復し、それを祝して天皇より桜を1本賜った。それが「薄墨桜」と言う有名な桜となった。

話が違うと思い、「乳母桜」で検索すると、確かに松山に「大宝寺」と言う寺がありました。

ウキペディアより

大宝寺」角木長者伝説とも呼ばれる。その昔、この地に角木長者と呼ばれる豪族がいた。彼は子宝に恵まれなかった。薬師如来に祈りを捧げたところ娘が生まれた。娘の名を「露」と名付けた。露には「お袖」という名の乳母を雇い大切に育てた。お袖の乳の出が悪くなり、再び薬師如来に祈ると乳が出るようになった。そこで、お礼にお堂を建立した。これが大宝寺の始まりという。
露は15歳になった時に重病にかかった。お袖は自分の命と引き替えに露を助けて欲しいと薬師如来に祈った。すると露の病気は平癒した。その祝いの席でお袖は病に倒れた。お薬師様との約束と言って、お袖は薬も飲まず治療を拒み、とうとう亡くなった。亡くなる直前に「お薬師様へのお礼に桜の木を植えて下さい。」と言い残した。長者は約束どおりお堂の前に桜の木を植えた。その桜は枝が伸びないうちから幹に2~3輪の花が咲いた。その花はお袖の乳房のような形で、母乳のような色であったという。その後、母乳の出が悪い女性が参拝に訪れるようになった。
この話は明治時代、小泉八雲によって英語に訳された。また、『怪談』にも納められている。

ちょっと場所や内容が一部違ってますが、大まかには合っています。

面白いですね。「昔話」

1話の耳無芳一は香川県の話、4話の乳母桜は愛媛の話。ともに四国の話。まだ残り13話あるのでどの地方が多いのでしょうか?

 

そう言えば昔、「マンガ日本昔話」をよく見てました。ほっこりする話が多くて好きですね。