アラカンタロウの老後への道

アラカンの退職前になって老後破産・貧困老人から免れる方法を模索しながら試しているブログです。

葬儀と通夜 人の生と死とお経について

こんにちは!アラカンタロウです。

先日、私の親戚がガンで亡くなりました。癌にかかって4年間闘病を繰り返してきたのですが、とうとう最後を迎えました。通夜と葬式を行っているうちに、「人の生と死」と「お経」について考えるようになりました。

私は霊感が全くないので、お化けは信じてなくて、死後は何も無い世界だと思っています。またお経は死者の魂を鎮魂するためのもので、テンポの良いリズムは、聞いていると眠たくなるものだと思ってました。

ちなみにアラカンならば「レインボーマン」知ってますよね。インドの山奥で修行して、ダイバダッタの魂を宿して変身できるようになった。今でいう「スーパーヒーロー〇〇〇」みたいな。カッコよかったですよね!変身するときに「阿耨多羅三藐三菩提」(あーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい)って言ってましたよね。余談でした。

 

親戚が亡くなり通夜に立ち会っていると、ふとある思いが浮かび上がってきました。死んだ後にいつ魂は旅立つのだろうか?アレレ?今まで魂なんて考えたことないのに。



通夜でお坊さんがお経を唱えるときに、私達も一緒にお経を唱えるようにおっしゃったので、私の無い頭でお経の意味を理解しようとしながら唱えてました。私の解釈では、この世は無であり、人もまた無、欲を捨てなさい。そうすれば極楽に行ける。

 

私の家は昔から浄土真宗なので「なんまいだぁ~、なんまいだぁ~」と唱えていたら極楽に行けると思っていたので、般若心経はちょっと違うような気がしましたが。

般若心経の意味をググってみました。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)から始まり、羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)般若心経(はんにゃしんぎょう)で終わりです。

 

大雑把な内容は、

頭で理解するだけが理解のすべてではない。自分の体験でもって理解すること、すべてが「空」という真理を体現していることを感ること。

考えれば考えるほど迷いの深みにはまっていく。あらゆるものに自性はなく、変化を続けることが存在の本質としてある。

しかしその真実を知ろうとせず、不変を求めたり、不変なるものが存在すると錯覚することで、真実との間に溝が生じ、そこから苦悩が生まれる。

真実を知れば、人はもっと安らかに生きることができる。すなわち、執着から離れよ、執着すべきものなど何もない。

(私が勝手に超短くまとめたもので、大切なところが抜けているかもしれません。違っていたらごめんなさい。)

インターネットの検索から引用

 

結論

生と死とは・・・空(無)であり、人の生「空(無)から始まり変化を続け無に返る自性ないもの」したがって、無なんだから欲をかかずに、因果応報、善い行いをして、生きている間は精一杯楽しみ幸福を求めなさい。死んだら空(無)に返るんだから。

お経は教え・・・人や物質、感情、感覚すべてが空(無)から変化して空(無)に返るということを生きている人に説いているもので、悟りなさい。魂を癒す呪文ではない。

あくまでも個人の理解と感想ですので、間違っていたらごめんなさい。

 

どうせ無ならば、明日死んでも惜しくないですよね。私は悟ってないので怖いですけど。

結論付けましたが、本当は人は人のためになることをして、より良い世界・より良い生活を生み出し築くことを手助けし、それによって自分も幸せになることが人生だと思います。なんでも良いんです。例えば仕事。普通に仕事をすることで人のために何かを生産するとか、サービスを提供するとか。

みんなで幸せになりましょう~!

どこかの「プー〇ン」や「習〇平」みたいに、一方的な人殺しやホロコーストみたいなことをしてはいけないですよね。